ここに掲載した日記は、旅風日記で綴ってきたものです。
スーダンに関しての文章を、その時その時の素直な想いと変化を留めておきたく掲載しました。
ほぼ原文のままですが前後の日記との関連上、多少手直ししてある箇所もあります。

2006年11月08日 (水)  

これまで春あたりからアフリカ・スーダン話をしてきたのだけれど、そして10月渡航延期になったのだけれど・・・
この際・・・被写体となる相手を公開することにした。
公開してしまうと、ますます後戻りできないし、プレッシャーに弱い僕は逃げ出してしまうかもしれないけれど公表する。

なんとなく気付いてらっしゃる方もいるかもしれないけれど・・・その方は川原尚行さん。
NPO(特定非営利活動法人)ロシナンテスを立ち上げて、単身スーダンにて地道に医療活動をしてらっしゃる尊敬するお医者さんである。詳しい内容は、今日付けで僕のリンクに追加したので、ぜひぜひアクセスしてください。

まだ写真を一枚も撮っていない方を、この時期に撮影する前にご紹介するのは僕としては気が引けるのだけれど・・・
なにせ右も左も上も下もさっぱりわからないアフリカ・スーダンで、どこまで写真が撮れるのか?
アラビア語は、さっぱりわからんし・・・英語でさえつたない僕が・・・紙幣はディナール?
ほんと・・・わからないだらけである。で、細かい砂で室内でも電気製品は壊れていく土地柄らしい。
そこにデジカメ・パソコンを持ち込んでも壊れていくのかな? アナログでいくかっ!!と思案中。
行って結果が出なかったら、どうしよう? とも思うのだが、いいのだっ!!。

(若い頃は、思い立ったらすぐ行っていた。何処でも・・・誰のところでも。しかし年齢を重ねると腰が重くなると言うか、行動した後の結果が、行動する前から見えてしまい・・・それ自体、経験を積んでいるのだから悪いことではないのだけれど、ついつい慎重になってしまう。抱えている物も大きくなっているし・・・だけれど、そんなことに押しつぶされてはいけないと自分を励まし、大人の僕は僕なりに熟考して行動する。スピーディーではないよね。情けない。今も撮りたくなったアーティストがいる。若い時は後先考えずすぐ飛び込んだけれど、今は考える。撮った後のことが見えるから・・・だから無い頭で熟考して、ある意味確信を持って行動する。それがいいのかどうか? わからない。だけれど・・・そうなる。大人になればなるほど冒険しなくなる。そこに負けてなるものかと中年は叫ぶのである・・・面倒くさい中年になったものだ)

そして、恥をさらして生きていく。結果が出るまで何度でも渡航してやるっ!! という意気込みなのである。

で、今日午前中に彼・川原尚行氏と東京で会った・・・そして1月にスーダン行きを決めた。
まだ彼は帰国したばかり・・・今回約一ヶ月間、講演やまだまだ支援を求めて全国行脚する。
そしてまた12月にはスーダンへ。

ぼくは昨年秋・・・彼のことを知り、半年いろいろ試行錯誤した結果、3月にラブレターメール
(便利な世の中だよね・・・メールが遠くスーダンまで届くんだもんね・・・)を出し、5月に始めてお会いして今回で、3回目。
しかし・・・強烈に惹かれているし、僕の感性の勘!!。
浜田省吾と出会った時もスピッツと出会った時にも感じた感性の勘!!。

約6ヶ月ぶりの再会だったのだけれど、すごく心の底から嬉しかったし、変に・・・やけに慣れ慣れしかった僕。
ほんとうにこれから長い付き合いにしたいと心の底から感じた。
浜田さんとも24年だし・・・スピッツとも17年。小山卓治とも24年。あんべ光俊とも19年。
ぼくは長い・・・先のことはわからないけれど、川原医師ともそんな付き合いができればと思っている。

だから写真屋と被写体の関係を乗り越えても、彼の活動を応援していきたいと強く思っている。
時には運転手でもいい、時には家来でもいい。時には兄貴でもいい・・・弟にもなろう。
だけれど・・・やはり僕が一番役に立てるであろう写真で全力投球で挑みたいと思っている。

昨年秋から今年春までの半年考えていたのは、ここを始めるということは僕の残りの人生の時間をここに集中することであって、しかし音楽写真を辞めることもまったく考えてないし、川原さんを徹底的に撮影していきながら、世界のあらゆるところにいらっしゃるであろう第2、第3の被写体を求めて世界中旅することになる。
一歩踏み出せば、もう戻れないし戻らない。そんな決意を固めるのに半年を費やした。

少し・・・彼・川原尚行さんのことに触れたい。
たぶん今年の4月あたりの日記からアフリカ・スーダンのことについて書き始めたのだけれど・・・あえて川原さん本人のことについて触れなかった。まだ会ってなかったし・・・。

今回いよいよ期が熟したと感じ、紹介したい。
彼は昨年2005年1月まで外務省の医務官だった。そこで彼はいろいろな所に赴任し医療活動・整備に尽力していた。
しかし外務省医務官である以上、転勤もある。スーダンの赴任が終わって、また次の土地へ・・・彼は思った。
スーダンでもっと地道でもいいから医療活動を続けたい。
彼は外務省を辞めた。そして単身スーダンへ裸一貫であるよ。

ぼくの中に「この人は、何を求めて今の職を投げ打ってまで単身行くのか?」・・・興味が沸いた。

ぼくは、このようなことに敏感で惹かれてしまう傾向にある。
それは浜田省吾・スピッツetcの活動姿勢にも、ぼくの中では通じている。

同じ医療でも自分にとっての本当の医療に向かって活動していく姿勢・・・人、やはりそれぞれなのである。

誰の為ではないのよね。自分にとってのあくまでの追求。それが人間なんだと思う。
カメラマンも写真を撮ることでは同じ職業・・・しかし皆、それぞれが自分にとっての写真というものを、あくまであくまで死ぬまで追求していくんだと思う。それがその人の個性になっていくものだろうし日々成長と勉強と反省。

ほんの彼の触りだけ紹介したが、彼のロシナンテスのホームページをぜひ見ていただき彼のことをもっともっと知っていただきたいと思う。そしてぜひっ!!・・・て言っていいかどうかわかんないけれど、彼に協力していただきたいと思う。
ぼくは、やはり全力で写真を撮り、少しずつでもいいから発表することで強く役に立ちたいと思っている。

僕が今回、無謀にも決意した経過は、
4月の日記に書き綴ったり、今月11月1日付けの日記にも関連してて、いじめてる奴・いじめられてる奴たちに、少しでも希望を持って活き活きとできることを見つけて生きる夢を持ってほしいと思うからで・・・
ほんとっ僕は微力だけれど、そんな視野を広げられる一助になればと思う。

僕たちの知らないイスラムの世界でも、ロシアでもアメリカでもイラクでも東京でも北朝鮮でも愛ある暮らしがあって、ひょっとしたら僕らがどこかで置き忘れた大切なものがスーダンにもあるかもしれないし、きっとあると思う。
それは僕が今大好きな沖縄にもあるし、だから僕はスーダンに行ってもスーダンの暮らしを出来るだけ撮影してこようと思っている。人の暮らし、風景の暮らし・空気・・・単なる川原医師の活動ドキュメントではなく彼が惹かれる大いなるアフリカの何か? それを求めて、探りに僕は旅をするのだと思う。

彼は今日、こうおっしゃっていた・・・「僕の医療は、電気や設備があるところで出来ることと、設備や電気さえないところでも、自分の手で感じながら医療していくこと・・・日本の中で学んだ近代的な医療だけでは出来ない医療がある。
そんな恵まれてないところでも患者はいる。そこでどうその患者を診察、治療していき生命を救いあげることが出来るか?」
この言葉だけ聴くと、あー偉い先生なのだと勘違いしてもらっては困る。
ほんとうに偉らそうぶってなくて、少年のような瞳と大人しての責任感に満ちあふれている人なのだ。

ここで言っちゃう・・・「僕は、尚行くんに惚れた・・・」
彼を支えている「六郎さんにも惚れてしまったのよ・・・」
オチャラケテルわけではない・・・そこが原点で、そこがスタートでないと僕は写真を撮れないカメラマン。
まず仕事として写真を1枚・・・って撮れないカメラマン。情けないけど、それがぼくの個性。
しかし惚れたらとことん撮る・・・音楽写真も一緒の姿勢。

なにか・・・自分に対しての決意表明の感情をバラバラに書き綴ってるように思えてきた。
仕方ない・・・昨日深夜まで飲んで、今日午前中に川原さんに会ったものだから・・・イコールあまり寝てない。
寝てても、あまり頭が回らないのに、寝てないからますます頭が廻らない。

だけれど、言いっぱなしをもう少し・・・

で、またまたオチャラケテルわけではない。
昨年秋に、彼のことを知ってピリリって来て、たぶん5月くらいに、ふとっ気付いた。
オチャラケテルわけではない・・・
ひょっとしてここ何年か僕を癒し励ましてくれ何度もダラダラと涙した・・・「Dr.コトー」?・・・
そして15話くらいから見始めて、いよいよ佳境に入った「チャングム」?
チヤングムは当初、宮廷女官で、料理をしてた・・・しかし今となっては何故か? 医女チャングム。
別にお医者さんが好きなわけではない。しかしこの2つの番組には癒され、励まされ・・・今も夢中である。

それをなんとなく5月に気付いた・・・いま現在、実際にいる。実存している。
川原尚行医師の姿勢が、僕にとってはまさに、それなのである。
だからまったく知らなかったスーダンまでも行きたいと心が動いた。・・・のかな? となんとなくシンクロしているのである。

本当にいま現代に必要なのは真っすぐな心・・・自殺していくことで問題提起は出来たとしても、
生きていく・・・苦しくても生きていく真っすぐな心。

今、自殺者が世界でもNO.1のこの国でも、生きていく可能性。
そんな日本という国が出来ること・・・国内の都会・田舎、世界中にほんとうに一生懸命働き生きる日本人がたくさんいる。
せめて僕は、そんな人を伝え生きる力や夢を保ち続け、この米粒のような日本という国がGDP世界で2番目という無理と・・・
同時に誇りを体感したいと思っている。
エゴではなくて、日本だから自国の愛国心だけではなく、広く愛生命心が出来るんだとも思っている。

世界から見ると本当に不思議な国と思う・・・資源もなくて、国土は本当に小さいのに奇跡的な発展をしている日本。
だから無理だらけの歪みの中で、僕たちはいま苦しんでるんだろうとも思うけれど・・・。
まだまだ心は発展途上国・・・子どもたちに、僕たちに、そして僕に・・・伝え学んでいきたいことがまだまだある。

「だから死なないで・・・生命ある限り可能性は、まだまだある」

これは、若き少年や少女にだけに言っているのではなく、校長先生や先生や、ぼくら大人にも言いたい。
そして僕自身にも言い聞かせたい。