ここに掲載した日記は、旅風日記で綴ってきたものです。
スーダンに関しての文章を、その時その時の素直な想いと変化を留めておきたく掲載しました。
ほぼ原文のままですが前後の日記との関連上、多少手直ししてある箇所もあります。
2006年04月05日 (水)
結論から言えば、アフリカに行く。そしてスーダンという国に行く。
全く今までの音楽を中心にした仕事とは関係なく、スーダンに行く。
スーダンって何処? という感じなのだが、スーダンに行く。
先方とも連絡を取り合っていて、少しずつ具体化の方向なのだが、まだまだ先は見えない。
越えなければ行けない難所が沢山ある。
ほとんどもう一回、20歳の時と同じように、裸一貫からの仕事への挑戦なのである。
しかし自分の中の確かな心が動いたのである。

ここで発表してしまうのは非常に中途半端でハズカシいのだが・・・これも発表してしまう。
なぜならこの中年が、新しい挑戦していく姿を、成功しても失敗しても・・・もがいてる姿をリアルに伝えてもいいんじゃないかと思うからである。ここで発表して、もし中止になった時・・行けなくなった時も全部ひっくるめて、その時はその時で笑ってやってください。

そんなことで、言えなかったけれど昨年末に浜田省吾ツアー、スピッツツアーが一段落して、今年に入って引き続き休む間もなく資料集めや勉強、そして新しい人に一人ずつ会っていっている今日この頃の春なのです。
もちろん、前から言っているように音楽写真は辞める気は全くないし、これまで以上に励んでいく。
それに加えて、沖縄もDVDもスーダンも力を込めて一つずつ確実に取り組んでいく。

小山話から、こんなところまで来てしまいましたが・・・こうして小山の活動に励まされたり、コヤマ氏や城山や、もちろんスピッツ、浜田省吾からの音楽や世界一周の音楽の数々から勝手に励まされ、それがまた自分の原動力になっていく。
そんな繰り返し・・・

スーダン行の内容やいきさつ等は・・・おいおいと。
今日は、このサイト始まって以来の長文になってしまった・・・然るにこのあたりで。
あーなげえ日記になってしまった。飽きずに読んでね。

・・・おれ、こんな日記書いてる場合じゃないんだよな。
新しいことをやる為には46歳だけれど勉強、勉強・・そして人に会って、また勉強。
受験生よりも、遥かに多くの勉強の毎日とプロとしての仕事に没頭する毎日。
そしてまた・・・勉強。知らないことはまだまだ沢山ある。
そして僕の部屋では、先程までずっと流れていた小山卓治が終わり、ジョン・レノンが流れはじめた。
2006年04月06日 (木)
今日は、ハルコマ・ミッソーニからBBSへの書き込みがあったことから始める。
まずBBS No.476に飛んで、その文章を読んでみてください。

まったく一緒なんだよね。その「こころ」の有り様が・・・今回スーダンに行く「こころ」模様と。
BBS返信でも少し触れたので重なることがあるけれど再度ここでも記します。

僕が今回スーダンに行く理由の一つは、まったくミッソーニの心と同じ。
子供たちに海を見せてあげたい。そしてその「いのち・こころ」も見て感じてもらいたい。

スーダンという未知の国・・・そこにはやっと内戦が終わり多くの難民がいる。そこに焦点を合わせることも必要だけど、自分はそこで働く日本人にまず焦点を合わしていきたいと思っている。そしてそこに暮らす人々の暮らしや表情、うつくしい風景、景観を大切にして、それも描いていく。
そして、その日本人が、一つ一つの命を大切に救いあげるその「いのち・こころ」を伝えていきたいと思っている。
そんな姿を、まず第一に見てもらいたいのは、将来のある子供たちになんだよね。
・・・豊かな繁栄の中にいる日本だけれど情報があまりに多すぎて、すぐ隣りが気になりすぎて、目標や生き甲斐を失いかけている人が沢山いる。目標や生き甲斐を探し求めている若者も沢山いる。
そんな若者たち、人たちに・・・自分をも含めて見て感じてほしい「いのち・こころ」がある。
まずは自分が身体でリアルに感じたいんだよね。そしてひとりでもいいから感じてほしい。

世界には沢山のそんな日本人が、それぞれの「こころ」で活動している。そんな姿を素直に伝えていきたいんだよね。
だからスーダンのあとは、カンボジアにも行く。ペルーにも行く。世界中どこへでもいく。
そんな大馬鹿な日本人の「いのち・こころ」を伝えていきたいんだよね、その土地の風土と共に・・・。
それは音楽の「いのち・こころ」とも共通していると思う。
自分らしい音楽を経ての視点に立って表現できればと思っているのよ。
音楽も沖縄の塩もスーダンも、みんな繋がっているんだよ・・・自分の視点としては。

世界中で活動する日本人は本当に沢山いると思う。それもいろいろな文化、文明、国に入っていってね。

日常のニュースでは、やれ民主党だの、やれホリエモンだの、詐欺や幼い子どもや弱者を狙った犯罪だの、暗くなって
もう自分たちに将来に希望持てないよ。おとなって嘘ばっかりじゃんと感じるけれど・・・
世界中にいて、なかなか報道されにくい人たち・・・国内だって沢山いる。
そんな人たちを少しずつ伝えていければ、きっと自分にも誇りが出てくると思うんだよ。
豊かな日本の役割に、本当の意味で誇りが持てるようになると思う。それに対して少しでも力になりたい。
足手まといになってしまうかもしれない俺だけど、生きているうちに誇りを少しでも持ちたいと思うんだよ。
もちろん今やってる音楽写真活動にも誇りを持っている。
全国津々浦々で見てきたオーディエンスのそれぞれの輝く瞳。アーティストも本当にきれいな瞳をしている。
本当に大切なことは・・・その美しく輝く、誰もが輝く瞬間なんだよ。
しかし、ここまできたらもっともっとなんだよね。
自分が出来る可能性を精一杯に・・・なんだよね。

どうもNGOとかNPOとか、団体が沢山あって、よくわかんないし見えにくい感じがする。
まぁホームページで検索していくと実に様々な団体が、それぞれの活動を広範囲で行なっている。
でも、それを見て確かに情報や活動収支はわかるんだけれど、・・・状況写真が多くて。
現地の空気感、肌触り、吐息などの手触り感がつかめない感じがするんだよね。

ぼくは写真で、そんな手触り感のある写真を撮り、展示なり掲載なりしたいと思っている。
そうするともっとNGOとかNPOの活動がリアルな肌触りとして伝わるんじゃないかな?
活動、業務内容ではなくて、そこにある空気・・・それこそ、ご飯をつくっている湯気と営まれる暮らし。
やわらかな現地の人の手・・・そしてやわらかな医師の手。
活動、業務内容や収支報告と相まって、そんな写真の役割を強く感じる。
もっともっとおおらかに伝えていきたい。

そんな意気込みを持っているのだが、もう難関が沢山ある。
自分は基本的に音楽写真の中で生きてきて、音楽関係であればブレーンも沢山いて、いろいろ相談できる。
しかし、裸一貫からのスタートである。ジャーナリスティックなブレーンはない。裸一貫である。
まずは専用のVISAの取得。観光ビザでは弊害が出てきてしまう。どんなVISAがいいのか?
たぶんジャーナリストVISA。これから全部、身体と心で当たっていく。
そして内戦終了まもないスーダンのお国事情・・・日本のように何処でも気軽にカメラぶら下げて撮影できないらしい。
現地で撮影許可証を発行してもらわないといけない。それにもいろいろ制限があるらしい。
入国後には、すぐに外国人登録証の手続きもしなければいけない。
何の為のパスポートやVISAなのだろうね。プラス外国人登録証が必要なのは?
そして滞在期間の延長願い作業。通常だと14日間の滞在制限?・・・ぼくは1ヶ月くらい滞在して撮影を行おうと思っている。
それらを出来るだけ国内でメドをつけて、やっとスタートラインになる。ほんとに未知の国スーダンなのである。
まだまだ遠い道程・・・できれば、7月の中旬から行きたいと思っている。
あれれっ? 各アーティストのスケジュールはどうなんだっけ? そこも調整しないとな。

それまで、そこまでたどり着けるか? 中年裸一貫ツアーは、まだまだ続くのである。
来週からも通常の仕事の合間を縫って、続々と人にあっていく予定である。裸一貫は新人なのである。腰が低いのである。

まだ被写体の詳細は明かせない。彼は5月に一時帰国することになっている。
5月に本人に会って具体的な打ち合わせをする。その時にこの日記への掲載の許可がいただければご報告したいと思っている。
それまでにも、こちらはこちらで動くことが沢山。
写真を撮るということはその意志と、大半が準備、段取りなのであるよ。
そして、気は早いが撮影が無事完了したとしたら、次は発表である。
そこもこれまで培ってきたブレーンは役に立たない。これまた裸一貫である。
写真展も考える。学習誌、専門誌、一般誌・・・ちゃんと狙いと軸を作って、これまた直訴である。
裸一貫・・・直接ドアをたたいていく作業を覚悟している。
そんなことまでしても、やり遂げたい仕事なのである。挫折することも覚悟で、公表もしていく。

そして、またまた僕の柱である音楽写真の仕事にも精を出しながらである。
時間と身体が続くかである・・・鍛えなくっちゃーね。
飲んだくれてる場合ではないよな・・・・・でも昨日も相当飲んだけど。

そして今日はスピッツの「遥か」「正夢」「スパイダー」やはり「夢追い虫」を聴いている。
そんな気持ちが、今の僕にはピッタリなのである。曲を持っている人は、ぜひ聴きながらこの日記を読んでみてくださいな。
ぼくの精神的な気持ちがリアルにわかると思うから・・・。

最後にハルコマ・ミッソーニがBBSに寄稿してくれた文章を・・・

「子どもたちがやがて仕事を始めるとき、どう、社会参加していくのか、その判断材料を与えてあげられれば、と思っています。」

その一言に尽きる・・・そのこころを抱きしめて僕はスーダンに行く。