僕にとって川原尚行という熱情をもった男の、人間の存在がすべてである。
彼のことを知り、彼と出会い、そして彼の生き様を知りたくて感じたくて・・・そして伝えたくてスーダンという国まで訪ねることとなった。

彼・川原尚行氏は、1998年在タンザニア大使館に外務省の医務官として赴任。続いて在スーダン大使館に赴任。
しかしスーダンの現状を見て、もっと自分の手で身近にスーダンの患者に接することは出来ないかと、外務省医務官を辞職。
まったく先の見えないまま裸一貫・・・スーダンで取得した医師免許だけでスタートしたのが2005年1月。

2006年4月には正式に「NPO ロシナンテス」(特定非営利活動法人)として内閣府認証を受け、翌5月NPO法人として設立。

彼の「ロシナンテス」立ち上げの経緯には奇跡に近い偶然も多々存在する。
その一つが、現在もロシナンテススーダンで事務全般から交渉をすべて行なっている霜田さん。
霜田さんは、川原尚行氏の高校時代ラグビー部の2つ後輩・・・彼はずっとバックパッカーで南米から中東・アフリカを放浪していた。
そして、これまた日本でロシナンテスの事務局長を務めている海原六郎氏も霜田氏と同級生。
その海原氏がちょうど帰国している霜田氏を川原氏に紹介・・・二言返事で「ロシナンテススーダン」立ち上げに参加することになる。
当初は川原、霜田氏ふたりと、これまた地元から寄付された10万km走った中古軽自動車四駆・・・ただそれだけでの旅立ちだった。

そしてスーダンでの暮らしの始まりは居候から・・・これがまた奇跡なのである。
居候先は、竹友という男のところ。これまた高校ラグビー部の一つ後輩。
彼と川原氏が再会したのは、タンザニア医務官時代・・・患者として担ぎ込まれたのが竹友氏だった。
それからまた偶然にも関西空港でバッタリ再会・・・竹友氏はイラクへ、川原氏はスーダンへ
そして医務官を辞め一度スーダンを離れる2日前に偶然にも竹友氏のスーダン赴任となる。
竹友氏は、現在もユニセフ職員で中東、アフリカにおいてのスペシャリスト。
イラクで亡くなられた外務省職員井ノ上一等書とも同じ釜の飯を食べた仲。何度も何度も戦火のイラクに支援のため尽力された。

この男臭い3人の同居は現在も続いている・・・なぜかラグビー部と偶然が織りなす、すばらしい仲間達である。

彼のスーダンでの活動は、村々を廻っての巡回診療。
水の浄化への取り組み。
小児科医療の充実、協力、そして日本の養護学級との交流。
横浜市からの薬の利用
(横浜市では東海沖地震に備えて大量の薬を備蓄しています。それを期限を残してこれまでは廃棄していたのですが、中田市長と川原尚行氏の考えが一致。ロシナンテスへ譲渡する形でスーダンでの利用を可能としました)。
スーダン医師・看護士の日本への医療研修招聘。
逆に日本医学生のスーダンでの現地研修への受け入れ
(これまでに全国の医学生を20名受け入れてきた)
そして広島での講演がきっかけとなったスーダン北部メロエでのデェイツ(ナツメヤシ)の植樹(学校)
・・・このディツは実は広島お好み焼きの「おたふくソース」の原料として使われているそうだ。
その他にも、日本の中古医療器具の提供、そしてメンテナンス。etc・・・etc。

本当に多岐に渡っている。
決して安定していないスーダンでの活動・・・ぼくは、この男の見果てぬ真っすぐな熱情をお伝えしていきたい。
これからも撮影・掲載を続けていく。

ロシナンテスの詳しい情報は、ロシナンテスホームページ
http://www.rocinantes.org/ へアクセスしてください。

2007年2月3日記