まず上の写真を見てほしい。
ここはスーダン南東部ガターレフ州のどこか? 道に迷った先での1枚。
ここではシャイ(紅茶に砂糖を入れた甘い飲み物)を御馳走になってしまった。
「シャイを飲ませてください」と頼んで、おいしくいただき料金を払おうとすると、そこにいたボスのような人が僕たちの変わりにシャイ代を払ってくれた。
ありがたく「シュクラム」・・ありがとうと言ってゴチになった。
しかし、とにかくスーダンの人は砂糖が好き。コーヒーもシャイもかなり甘くして飲む。
そしてその元の水が手前のお皿にある濁った水である。しかし暑い中で飲む甘いシャイは格別。オフロードで凝った身体をほぐしてくれる。ちなみにこの日は1月だというのに摂氏40℃を記録、夜はたぶん15度あたりまで下がった。

         

乾期である1月は、川らしきところを土で塞き止めて、ため池を作る。そしてそれはそのまま家畜の飲み水であったり人間の飲み水であったりする。その汚水が原因の病気(寄生虫、大腸菌)も、人の病気や生命さえも奪っていく。
そして雨期の7月、8月にもなるとナイル川は氾濫し道路もなくなり寸断だらけとなる。厳しい過酷な自然である。
しかしながらみんな元気、とにかく明るい人たちなのだ。

     

スーダン北部メロエで朝食を御馳走になった。
そこでの朝食もまた抜群のおいしさ・・・そして香辛料としてピリ辛の青唐辛子を口にする。
おいしいけれど強烈に辛い・・・そんな僕たちを見て、すかさず水を出してくれる。
断るわけにはいかない・・・スーダンではサディーク(友達)が基本。川原先生が連れてくる友達はすなわちサディーク。
訪れるところ全てで暖かいもてなしを受けた。そんな友情を大切にする土地柄。だからイチゲンさんが行くと時に冷たく感じるかもしれない。僕は川原先生のスーダン文化に溶け込み、サディークを大切にする人柄で、すばらしい体験をした。

各国NGOが集結する南スーダン・ジュバでは国連景気と言うべきか・・・内戦で戦場になっていた関係でホテルもなく1泊テントで
US100$という法外な値段と、日々食べるにも困りながらのNGO活動だと聞いた。

それに引換え・・・僕が訪ねた川原ブレーンは申し訳ないほど人情と歓迎をしていただいた。
僕たちの旅、訪問医療は全てが民泊・・・暖かい食事にもてなし、なによりその家々での家族とのふれあいも嬉しかった。
そんなところからの心ある交流こそが、相互理解が深まると実感したのも事実。

話が飛んで申し訳ないが・・・下の写真はその時の朝食の模様と濁った水。僕と川原さんは、ありがたくその冷水をいただいた。
だから僕たちの身体の中には寄生虫くんがいるかもしれない。移りはしないから嫌わないでね。やさしくしてね。



            

素晴らしき食卓・・・詳しくはまた009食事のページで紹介するが、絶妙のバランスの食事。
全てがおいしかった、そしてパンもホクホクしていて素晴らしくおいしい。そしてアラビア名前を忘れてしまったがピリ辛唐辛子。
そして僕たちが飲んだ冷たいお水・・・川原先生、ニヤニヤして、
ある意味アホである。

と、まあ・・・ざっと水物語を紹介したが、汚い水ばかりではない。
僕たちが訪ねたガダーレフ州ガランナハル村周辺は、ドイツの技術協力で随分と水が澄んでいてきれいなのだ。
成分分析までしてないけれど、見た目には清水。

          

すいません・・・あまり水のディテールが出てない写真なのですが、それくらいきれいな水だった。

          

                    

しかし、その地区で一カ所だけ上2枚の写真のような、泥水に近い水を利用している村があった。
川原先生は、この地区の水の浄化にも取り組んでいる。

しかしガダーレフ州ガランナハル村周辺の村々は実に美しい。彼の巡回医療のベースキャンプである。
ちなみにガランナハルの村々には、まだ電気は通っていない。夜約3時間だけ発電機をまわしていた。
然るに電話も通じていない。だから川原先生の訪問医療は突然訪ね、そして周囲の村々へは人づてに伝わっていくというものだった・・・しかし電線はあったので近いうちに電気が通るのではないだろうか?
その分、ほんとうに満天の星のなか静かな静かな夜を過ごすことが出来た・・・遠くスーダンの田舎の村で幸せを感じた。
2007年2月3日記