ここに掲載した日記は、旅風日記で綴ってきたものです。
スーダンに関しての文章を、その時その時の素直な想いと変化を留めておきたく掲載しました。
ほぼ原文のままですが前後の日記との関連上、多少手直ししてある箇所もあります。

2007年02月01日 (木)   

さてさてスーダン渡航日記を書き始めるか・・・と思ったのだが。

いちいちスーダンの国のこと、何故ぼくはスーダンに行ったのか。
そして何を伝えたくて、何を撮影してきたのかを日記に書き綴っていては、なかなか皆さんには伝わりにくい。
昨年4月から度々日記に登場しているスーダン話ではあるが、途中から日記を読み始めた人にとっては、なんのことか?
さっぱりわからない状況と思い、ひとつのコーナーを作ることにした。

だから今後は、そのページでスーダンという国の概況、現実、ロシナンテス、川原医師、暮らしぶりなどを整理して掲載していこうと思う。
しかしながら、さっき思いついたのでそのページの枠をどのように構成していったらベストなのか・・・そしてぺージ制作に時間がかかるので楽しみにしておいてください。

それと・・・やはりぼくのホームページはスーダンでは統制に引っかかり見ることはできなかった。
たぶん理由は女性のヌードがあるためである。途中のUAEでは見ることができた。しかるにイスラム文化圏内でも見れる所と見れないところがあるということである。スーダンは現政権がイスラム原理主義のため、かなり厳しい統制がかかっている。
然るに、写真を撮影してこれただけでも大変なことであるのだ。
然るに、スーダンロシナンテスさんにも見ていただけるように当サイトからヌードのコーナーも一時削除していこうと思っている。
女性ヌードは、今後違うドメインを取得し、そこで「JUNJI NAITO PHOTOGRAPHS/ WOMAN」とでもして公開していきたいと思っている。
そんなこともあるので時間をかけて当サイトを構築し直さないととも思っている次第です。
然るに現地からのホームページ更新もBBSへの書き込みもできなかったということなのでした。

まぁ今日はおみやげ代わりに写真を2枚公開します。
1枚は、今月TOP写真の少女の写真・・・この写真は首都ハルツームから東へ約200kmのワット・メダニで撮影した写真。
ろう学校で手話を使って勉強する美しき少女の横顔。
ロシナンテスは昨年12月、ワット・メダニから小児科の医師2人を日本に招聘し、日本の小児科医療の研修をしていただいた。そして日本の養護学校との交流も始まった。スーダン医師2人はワット・メダニで今後小児科医療充実の病院や学校を建設したり運営していく。そこにもロシナンテスの川原医師は大きな力として関わっている。

下の写真は、この国の現実のひとつ・・・診療所前にて。首都ハルツームから東南へ約500kmのガターレフ州、ガランナハル近郊の村での1枚。この村々へは途中まで舗装された道路で、その後は未塗装の道を4輪駆動車で2時間田舎へ入ったところ、計7時間くらいかかるところ。
(ガターレフ州は、日本外務省の渡航情報では、渡航の是非を検討してください。という地域)

そしてスーダンの子供の4人にひとりは5歳まで生きることができない現実。
マラリア(蚊を媒体とする感染症)や水の汚染が原因の下痢や病気などです。内戦の影響もまだまだ色濃く残っています。
そんなあおりを受けるのはまずは子どもたちです。
(写真のお母さんの黄色い服の上にゴミのような黒い点々は、無数のハエです。当然子供さんの目尻のあたりにいるのもハエです。とにかく想像を絶するハエの大群でした・・・そんなことも衛生上の問題ではあるのだが、人間数より遥かに多いハエくんたち・・・どこから手をつけていいのやらである。
しかし現地の子供達は非常に明るい。そして親の言うことを実に良く聞き、よく手伝う子供達であった。
日本が失った家族の型・・・スーダンから学ぶべきものも実に沢山あるのである)

これから少しずつ発表も考えていますので、どんな小さな事(媒体の紹介、発表のギャラリーや市民ホールでの発表等々)でも発表の手助けをしていただけるよう・・・情報をくださいね。
オラが町で村で写真展示や川原先生の講演をしたい。自分の我が社の雑誌に、新聞に取り上げたい。
どんなことでも広げて行こうと思っているので、みなさんご協力ください。

この写真を見て、これまでのストーリーを知りたい方は僕のこの旅風日記の2006年4月、5月、11月、2007年1月に分散して書き綴っていますのでご覧ください。
それらも今後コンパクトにスーダンコーナーとして見易くしていきますので待っててね。