[ 2008年 01月 ]

01月01日 (火) Am06:50初日の出とともにアップ 

新年 明けましておめでとうございます。

昨年は新しい道に踏み込んだ。
自分にとっては相当な覚悟の一歩だった。
今年も無事に新年を迎えることができ思い出す・・・昨年の今日も元気に新年を迎えていたものの心の中は相当ビビっていた。
若い時の無邪気な挑戦とは違い、40代後半になる自分は抱えているものも沢山あるし・・・そんなことを考えると"止めようかなぁ"とも思ったお正月だった。
大きなものを抱えている中年だけれど、そのことを超えても動き出す時だったんだと思う。
その動機や答えはまだまだ模索中・・・魂の真ん中ではなんとなくわかっているけれど今はまだ書きしるさない。
そして昨年1月9日にアフリカスーダンに向かい、本当に貴重な体験をした。
その体験を少しでも伝えていきたく、今年のテーマは発表・発信。そしてまだまだ撮影を同時に進めていきたいと思う。
と、同時により自分が撮リ続けてきた音楽にもますますの愛情を注ぎ込み、共感し撮影していくことを再確認。
よりもっと浜田省吾であるし、スピッツであると確信している。そしてまだまだの音楽の仲間たちへの情熱も深まった。

ということで年明け早々から、一歩ずつ発表をしていきます。
ということで僕のサイトのTOPを開くと同時に掲載や発表予定のニュースをわかりやすくポップアップの形でお伝えするよう設定したのでチェックし続けてくださいね。

ぼくはまた原稿書きに戻ります・・・そして入校するための細かな詰めに入ります。正月返上っ!! トホホッ!!


とほほっ・・・今Am07:40。NEWSのポップアップが、INTERNET EXPLOLERでしか表示されないことが、さっき判った。
NETSCAPEでもSAFARIのブラウザソフトだと表示されない・・・とほほっである。
原因究明と修正にはお正月ということもあって時間がチトっかかるかもしれないので、この日記に画像として貼付けておきます。
皆さんのところでも見れたか見れなかったかをお使いのブラウザソフトを明記の上、BBSにでも書き込んでくださいませ。
            
本当は上の画面がTOPにアクセスするとデスクトップ左上に表示されます。ご確認よろしくです。

01月10日 (木)

まだNEWSのポップアップは解決してないのだが、上のNEWSでもお知らせしたように、今週土曜日発売の「読売ウィークリー」での掲載発売が決まった。記事のタイトルは

「スーダンの小さな村に診療所を開設 日本人医師が救いあげるひとつひとつの命」

なかなか良いタイトルでしょう。この表題にたどり着くまでは大変だった。しかし一つずつの苦労が実ったという感じ。
写真掲載は9点、恥ずかしながら文章も書いた・・・いわゆる写真・文 内藤順司としての掲載は28年のキャリアのなかで
初めてである。いわゆる新たなるデビューの感じである。
撮影の時も新人のように異国の地で、目の前目の前の初体験を震えながら感動しながら撮ってきたが、発売を前に喜びに少し震えている・・・素直に嬉しい。

しかしながら続々とである。今日は2月売りの「カメラマガジン」の原稿やデーターを揃え納品体制完了。
そして浜田省吾の仕上げも、またまたスピッツの仕上げも同時に進めている。

発売は1月12日(土)です。雑誌自体の号数は、「読売ウイークリー」1月27日号です。
みなさん・・・ぜひぜひお手に取って見てください。読んでください。

そして今日作業をしていると、ロシナンテス小倉本部からポスターが届いた。
昨年の11月の日記でも書き記したがB2の大きなポスター・・・これから西日本の高速道路パーキングに貼られていくので、ぜひ気にかけて見てみてください。11月の日記に載せたレイアウトから写真を少し変えました。それも楽しみにね。
あと引き続き・・・もう2008年はスタートしましたが、ロシナンテスカレンダー2008の販売をしているそうです。
まだ手に入れていない方は、ぜひロシナンテスホームページより申し込んでくださいね。
収益金の1000円で、4人にマラリア検査キットを提供することができます。

明日も納品がダッダッだっとあるので作業に戻ります。それではまた・・・

01月13日 (日)

写真は、発売日前日の午後11時くらいの渋谷駅で読売ウィークリーを発見、購入した時の図。11日は都内でいろいろ打ち合わせ後、夜も引き続き打ち合わせと称して飲んでいました。その帰り駅で発見・・・一緒にいた3人ともお買い上げしてしまいました。
「読売ウィークリー」発売されました。
年末年始に書いてきて、写真も仕上げて納品して一つの形になっていくことは、やはり嬉しいものです。
まだまだ「AERA」と「カメラマガジン」の発表も控えています。
アエラはまだ発売日が確定していないので、決まったらまたお知らせします。
良かったら感想をBBSに書き込んでくださいませ。
また明日からは次なる目標で旅に出ます。
国内ですが「スーダン」の次になるひとつです。動き出したら止まれません。
そのままヒートウェーブのツアーで大阪・名古屋・東京に同行します。そしてスピッツツアーの長崎へ。

01月24日 (木)

今日付けで「NEWS」を更新したが、「週間AERA」2月4日(2/11号)発売が決定した。さきほど掲載の為の最終入校が終わった。
ぜひ見開き一枚の大きなどーんとした写真なのでチェックしてください。
引き続き作業中ではあるが、「カメラマガジン No.6」は2月15日発売なので、こちらもよろしくです。

今年も相変わらず休むことなく動いているが、広島での新しい撮影・・・これは僕としては国内だけれど川原先生の撮影に続くもの。先週の広島滞在で下調べと準備は終わった。沢山の諸先輩方にもお会いした。
後は内容をもう一度練り直し、深く勉強し、気持ちと的を精一杯絞る作業。そして撮影準備とスケジュール調整をしてやっと撮影になる。撮影期間はどのくらいになるかわからない。とにかく自分が納得いくまでとことん撮る。内容はまだ待っててください。タイミングを見計らって発表します。

日々・・・今までとはチトッ違う動きもしている。文章を書いたり、ひと文字ひと文字を慎重に選ぶ。文字数が決められているため、ニュアンスを変えて文字調整する。情報に間違いがないか最後まで確認する。当然、誤字脱字も確認する。
写真屋稼業28年で初めての原稿書きの日々なので・・・時々書いたり、日記程度のものはテキトーにしてきたけれど。
まるで違う職業をしているみたいで・・・しかし写真を伝える大切な作業の文章なので、写真の仕上げの作業に引き続き文章を気持ちを込めて書き進める。そして修正を繰り返し文字数を合わせる為また書き直し、いつの間にシンシンとか心の中に入っている。
そんななかやはり僕の場合、音楽が支えになっている。浜田省吾「砂の祈り」をエンドレスで繰り返し繰り返し聴く。
スピッツの「ルキンフォー」もエンドレスで聴く・・・心の底から励まされる。ディランもスプリングスティンもレノンも繰り返し繰り返し・・・僕の文章の底辺には、そんな大切な音楽が流れている。
エンドレスゾーンには、100曲あまり。そして僕が常に聴く楽曲たちは、たぶん10000曲は軽く超えていると思う。
昔の音楽ということだけでなく、新しい曲も40年前の曲も今も僕には現在進行形で鳴り響いている。
先週末にはHEATWAVE大阪・名古屋のライブを撮影した。彼らの音楽も生々しく僕の中で響いている。
今週日曜の東京ライブも撮影する。その狭間でいろいろなことをやり泳いでいる。
今、川原先生は現地視察で、あのダルフールに居る。すべてがうまくいけば将来ダルフールでも医療支援が始まるかもしれない。
その時がくれば僕も当然同行する。スーダンの子どもたちの透き通った目と笑顔も思い浮かべる。

誰もが一生懸命活動し生きている。だからぼくも頑張る。

今週から来週にかけては浜田省吾、スピッツの撮影もする。そしてまだまだ・・・。分刻みで動く日々は続く。





そして、そして10日前・・・大川奘一郎さんが亡くなられた。
ご存知だろうか? 僕が日本でダントツに大好きで尊敬する音楽フォトグラファー。
日本で唯一好きな写真家。 素晴らしい先輩・・・・ぅぅぅぅ悲しいっ。

僕たちの音楽・・・演歌と歌謡曲しかなかった時代に自分で作詞し作曲し自分たちでレコーディングし、そして歌う。
そんな創世記の1960年代後半から音楽写真を撮り続けてきた人・・・岡林信康も吉田拓郎も風(伊勢正三、大久保一久)もかぐや姫も、そして浜田省吾も。そして今は長渕剛の強力なオフィシャルフォトグラファー。長渕のあの男らしいイメージを作ってきたのは大川さんの写真の力と言ってもいい。

ぼくたちは知らず知らずの内に彼から大きな夢をもらってきたと思う。
長髪やジーパンやサングラス・・・そんな姿も吉田拓郎や風や数々のアーティストがまとい、その姿を素晴らしいかたちで写真に残し伝えてきた。70年代前半はそんな若者が町中に溢れていた。大川奘一郎の名前は知らなくても、誰もが写真という情報をキャッチし長髪やジーパンやサングラスは増えていった。その前の時代は男が髪を長く伸ばすことも汚いジーパンもサングラスも前の世代から強烈に否定されていた。親との断絶もあった。
今では考えられないことだけれど今の自由なファッションや生活には、そんな原点がある。ライブツアーも始まったのもこの頃。それまでは演歌の興行や歌謡ショー。今のライブツアースタイルが生まれたのも1970年初頭。
そのスタートからそんなすべてを伝えてきたフォトグラファーが亡くなった。僕は実親が亡くなったときのように沈む。

僕の写真にも生き方にも大きな影響を与えてきた良き先輩、師匠の死・・・
僕が彼の写真を初めて意識したのは1976年、俺16歳高校生。風のファーストアルバムの写真。長髪、ジーパン、サングラスそしてブーツのふたりをさわやかな空気のながれる暖かい日差しの中で希望に満ちた質感で捉えた美しい写真。そして吉田拓郎の歴史上、脂の乗り切った時代の1979年篠島オールナイトライブから続くアジアの片隅での実に大人の力強い写真群。僕は篠島へはお客さんの一人として大いに暴れていたけれど・・・それらすべてのオフィシャルフォトグラファー。
翌年1980年から僕はフォトグラファーとして活動を開始したけれど、やはり影響受けてきたし音楽的な素養も似ている為、撮影しているアーティストも重なっていた。長渕剛、浜田省吾etc・・・。
ある種ライバルになった若造20歳の僕を手荒い優しさで接してくれた。たくさん酒を飲まされた。吐いたこともあった。
しかし年の差12歳でも同じカメラマンとしてフランクに接してくれた。一緒に倒れるまで飲み歩くようにもなった。

ぼくは、いつまでも彼の大きな偉業には追いつかない。彼の撮影技術の素晴らしさにも追いつけないとも思っている。

あぁぁぁ・・・涙が出てきた・・ぁぁぁ

しかし、少しでも心も引き継ぎたいと思う。誇りを持って引き継ぎたいと思う。足下にも及ばないかもしれないけれど引き継ぎたいと思う。

数年前お互いがベテランの部類に入った僕たちは、丸2日間に及んで酒を飲み続けた。最初はお店で飲んでいて、最後は大川さんの自宅で飲んで倒れていつの間にか寝て、また起きて深々と飲んだ。とにかくいろいろな話をした。そして最後に酔っぱらっても超えて支離滅裂な二人は「俺は長渕を撮り続ける、お前は浜田省吾を撮り続けろ」 僕は深くうなづいた、そして後輩らしく「浜田さんもスピッツもまだまだ音楽も、そしてアフリカにも行く。どこにでも行く」と強ぶった。

男と男の深く歴史も何もかも含んだ徹底的な呑み合いだった。それが実際に会った最後。

ぼくは強く強く信念を持つ。分刻みのスケジュールだろうが強く強く信念を持つ。そして進む。
大川さんと同じように、この生命の終わりがくるまで・・・。

ぼくは、長髪、ジーパン、サングラスに、下駄にブーツに革ジャン・皮パンを加えた人生を歩く。

大川奘一郎さん・・・ほんとうにありがとう。
僕に僕たちに多大な夢と心を伝えてきてくれた。音楽写真の持つ意味と誇りを伝えてくれた。
ぼくは引き継いで、まだまだ次の世代へ継なげていく。
「一足先にあっちに行っておいしい酒と店を見つけといて。ぼくも行ったときには、また朝まで飲みましょう」

ありがとう。ありがとう・・・・大川奘一郎。
ありがとう。ありがとう・・・・偉大なフォトグラファー。
ありがとう。ありがとう・・・・病気が分かっていても最後の最後までライブを撮影し続けた大川奘一郎。

ひとりになって、すごくさみしいけれど、まだこっちで頑張る。引き継ぐ。
まだ沢山の仲間たちと、あきらめきれない心があるから・・・。


ほんとうにありがとうございました。安らかにお眠りください。     

ほんとうにありがとう。

「バカっ!! 泣くなっ!! 内藤っ!!」の大川さんの呑んだくれ枯れた声が聞こえる。だけど、たけどだよ。

ほんとうにほんとうにありがとうございました。合掌だよっ。

さぁ・・・明日の撮影も魂込めるぞ。ルキンフォー  探し求めてだよ・・・。ひとりで起き上がるだよ。

「ルキンフォー めずらしい生き方でもいいよ
誰にもマネできないような・・・燃えカス時代のまだ燃えそな このモロく強い心
君に継なげたい・・・叶いそうな気がしてる」だよ。     スピッツ「ルキンフォー」より


泣くよ・・・おれは。

01月28日 (火)

なんていうか・・・ 今日は長崎に入った。

昨日はHEATWAVEのライブを渋谷で・・・。
とにかく素晴らしい。音楽がある事が素晴らしいと思わせてくれるライブだった。
今回、HEATWAVEのライブを見逃した人・・・とにかく今度はぜひぜひライブを体験してほしい。
とにかくカッコいい。音も詩もバンドもすべてがかっこいい。とにかく抜群のセンスでかっこいい。

と・・・いうことで、あけましておめでとうということで、今日から大好きなSPITZ軍団の僕にとっての年明けが始まる。
楽しみでワクワクしている。

音楽流れ旅・・・やめられないのである。

久々に再会したSPITZの連中が教えてくれた。
移動中のパーキングエリアでロシナンテスのポスター発見。
僕はまだ見れてないが西日本の各地にポスターが貼られ始めた。ぜひ見てほしい。